略歴                田島 俊(たじまたかし)    

                        岐阜県大垣市上石津町出身

学歴                  岐阜県立大垣北高校卒業     

       1968年  京都大学 文学部(社会学専攻)卒業 

職歴   1968月  ㈱毎日放送入社

            報道部記者として

              大阪万国博等取材

              大阪府警記者クラブ担当

              天六ガス爆発火災等取材

              市政記者 府政記者

              TBS報道特集 記者レポーター

              日航ジャンボ機墜落事故等取材

            ドキュメンタリー制作

              植村直己のドキュメンタリーを多数制作

              「北極点を超えて4000キロ」で芸術祭優秀賞受賞

              他ギャラクシー賞、民放祭連盟賞等受賞

            MBSナウ(ワイドニュース番組)編集長

    テレビ編成部長

              ダウンタウンを発掘 テレビ番組「4時ですよ~だ」を企画

https://www.youtube.com/watch?v=hqUTGM5m57Q&nohtml5=False

             「乾杯トークソング」「明石屋電視台」等番組企画

             天皇崩御特別編成を指揮

         テレビスポーツ部長

         総務局次長兼総務部長

            社の広報としてTBSオーム事件、アナウンサー旅客機操縦事件等対応、阪神大震災後方支援                                       

     1997年  メディア開発局長

                CS GAORA立ち上げ

                BS-TBS立ち上げ

                地上デジタル放送の実現に従事

           役員メディア開発総括

     1998年以来   総務省地上放送実施方策部会委員

              総務省全国地上デジタル放送推進協議会委員、

              同総合推進部会委員

              D-pa運営委員、

              日本民間放送連盟デジタルテレビ専門部会委員、

              地上デジタル放送推進全国会議普及促進委員

              ブースター対策専門部会委員、

              IP再送信審査会委員、

              ケーブルテレビ区域外再送信対策部会委員、 等各種委員を兼任

 

                 この間2003年 関西大学教育後援会会長を歴任 

 

 

        民放ローカル局の代表として活躍各方面での講演活動や執筆活動 、ケーブルテレビの区域外再送信問題       解決に尽力 、ケーブルテレビ局のコミニュティーチャンネル問題対応

    2012年  地デジの完遂を見届けて、毎日放送退任

    2012年  ㈱ジュピターテレコム(J:COM)顧問

          関西大学客員教授、

          岐阜経済大学講師

    2015年  総務大臣から地域の放送文化の向上と地上デジタル放送の実現に尽力したとして表彰状賞受賞

    ★この間「地上デジタル放送関連」で、NHKテレビ番組に3度出演した他、新聞各誌や月刊ニューメディア、月刊     民放、雑誌イグザミナ等に記事記載を多数、執筆、

    ★全国民放ローカル局代表として活動し地上デジタル放送の実現に尽力、地デジ普及のための全国講演活動

     ★総務省、Panasonic等受信機メーカー、日本ケーブル連盟、全国のケーブルテレビ事業者との交渉や要望を      取り纏め、放送法の改正や、放送と通信の融合問題等に民放代表として対応。

    ★先進国では初の「地上デジタル放送の完全デジタル化」実現に至る、数々の難問、関門を克服して実現に至る


       2006年、07年に関西大学社会学部で非常勤講師

       2004年 関西大学教育後援会会長 等 歴任

 

   メールアドレス

      AOK事務所       tajima@s.zaq.jp    

                      t-tajima@db3.so-net.ne.jp

   AOK事務所ホームページ  http://aokjim.com 

      TEL    06-6877-9567

             090-2593-3800

                                     大学の授業(関西大学)

  資格  書道教授 (5段)        

        労務管理士1級   

        普通自動車免許    

        アマチュア無線技師免許

  地上デジタル放送担当当時に田島が書いた原稿の一部

   地上放送のデジタル化が放送業界にとって、「生死を分ける」とまで言われ、民放ローカル局には「デジタル化不  要論」も根強く、全国を回って講演会を開き「地上放送がデジタル化しなければ、インターネットや通信事業者に飲み 込まれてしまう 」と訴え続けました。今から考えれば嘘のような話ですが、民放ローカル局にとって、莫大なデジタル 投資は、経営的に耐えられないというアナリストも多くいて、国費支援を訴えながらも、歯を食いしばり自前で投資し  東名阪の広域局が先導的役割を果たしました。

  アナログ終了に向けての最後の1世帯まで、テレビが見られなくなる人が決して出ないような、完璧なデジタル化を 成し遂げたのは、先進国でも、日本のみで、奇跡に近い快挙でした。

    地上放送のデジタル化裏話~今だから話せる面白逸話~ は近く出版予定です。         ご期待ください。

 

コラム

MBS報道記者時代

 テレビラジオの放送記者として、多くの取材経験を積みました。その一部をご紹介します。

記憶に残っているのは、1969年の京都大学時計台占拠事件です。母校京大の時計台に「全共闘の学生が籠城」し、私はMBSの大型テレビ中継車で駆けつけ、生放送しましたが、運悪く学生の投げた石がフロントガラスを直撃し、報道デスクから「危険な場所位判断せえや」と私は大目玉を食らいました。

私も卒業直前まで、全学連の河原町デモに参加し、機動隊と正面衝突をくりかえしていましたので、取材者として機動隊に守られながら、暴れる学生の映像を撮り続けるのに、複雑な思いがありました。

 

また1972年には、大阪なんばの千日デパートビル火災があり、ビルの8階のアルサロで、118人ものホステスや客が逃げ遅れ、飛び降りたり煙に捲かれたりして死亡するという痛ましい現場に直面し、言葉を失いました。

当日私は仕事を終え、会社近くの雀荘で麻雀中にポケットベルで呼び出され状況も全くわからない儘、現場に直行したのが火災発生から40分後の午後9時前、ビルから飛び降りてくる人々をただ茫然と眺めていました。

ビル火災の恐ろしさ、アルバイトサロンの経営者が避難通路を、飲み逃げする客やホステスが勝手に外に出ない様に、避難階段にダンボール箱などが積み上げれて居たのを、はっきり覚えています。

 

1972年北陸トンネル火災が発生、30人が死亡し、重軽傷者714人という大災害となりました。現場は煤で真っ黒になった乗客で溢れ、中継レポートもそのむごさと怖さをどう表現するかで悩みました。

 

コラム

1973年には長い長いベトナム戦争の「和平協定」が決まり、戦禍の収まったハノイの取材に入りました。

 

私が報道記者を 目指したのは、TBSニュースコープの「田英夫のベトナムレポート」を高校時代に見て、私もニュースキャスターになりたいと思ったのが、きっかけでした。

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